おさびし山のホームメードケーキ
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紅茶の基礎知識 −その歴史
ケーキに欠かせない飲み物といえば、コーヒーか紅茶ですね。そこで今回は紅茶について、その歴史を簡単にご紹介します。

以前緑茶のときにも簡単にご説明したように、緑茶も紅茶もウーロン茶も基本的にはおなじ茶の葉から作りますが、その製法が違うため、風味も色も異なるさまざまなお茶ができるわけです。
その茶ですが、ツバキ属の照葉樹で、原産は中国西南の雲南省の山地といわれています。茶摘のイメージから、わりと低い木という印象がありますが、雲南省では10mを超えるような大木も見つかっており、意外と大きく育つようです。特に紅茶によく使われるアッサム種(インドのアッサム地方で発見された)は、大木に育ち、葉も大きいのが特徴です。

中国では遅くとも紀元前2〜3世紀にはお茶が飲まれていましたが、いつごろからどのように飲まれるようになったのか、確かなことはわかっていません。日本でもかなり昔からお茶が飲まれていたようですが、歴史上初めて伝来したのは、805年に最澄が中国からお茶の実を持ち帰り植えたときとされています。

そのお茶がヨーロッパに伝わるのは、時代をずっと下って、17世紀にヨーロッパ諸国が東洋に進出してきたときからです。特に1600年に設立されたイギリス東インド会社や1602年に設立されたオランダ東インド会社が輸入するお茶は、イギリスの王室や上流階級で人気となりました。
当時のお茶はボヘア茶という、ウーロン茶のような半発酵茶だったようです。また街の社交場であるコーヒーハウスが増え、ここで出されるコーヒーや紅茶の普及に貢献しました。

さらに18世紀になると、イギリスでは庶民にまで紅茶を飲む習慣が広がり、紅茶の輸入量も増えていきました。1706年にはトマス・トワイニングがコーヒーハウスを開き、その後代々紅茶の普及に力をいれ、今に続くトワイニングの基礎をつくっています。
19世紀にはいると、紅茶の輸入量は飛躍的に伸び、中国からの輸入だけではまかないきれなくなっていきます。そのため、イギリス東インド会社は紅茶栽培に乗り出し、インドのヒマラヤ山ろくのダージリン地方などに大規模な農園をひらき、アッサム地方で新たに見つけたアッサム種の葉を使って、イギリス人好みの癖がなく柔らかな風味の紅茶を作るようになりました。
またコーヒーがサビ病で全滅したセイロンでも、島特有の気温,湿度を利用して紅茶栽培に切り替え、1890年にはトマス・リプトンが大規模な紅茶農園を始めて、こちらも現代まで続いています。

このように紅茶は近代イギリスの大事な交易品であったため、歴史上の大きな事件にも多くからんでいます。たとえば、清(中国)の開国のきっかけとなったアヘン戦争や、アメリカ独立の象徴的出来事となったボストン茶会事件など。精神を落ち着ける作用があるというお茶ですが、歴史上はいろいろな修羅場をくぐり抜けてきているのですね。

 

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